「春秋」という典籍がある。これは魯の年代記の記録を孔子が編纂したものとされ、経書の扱いを受けており、通常は解説である「伝」とセットとなっている。この「伝」には、「左氏伝」、「公羊伝」、「穀梁伝」の三伝が伝わっている。この「春秋」の哀公十四年(481B.C.)の記事に、
十有四年。春。西狩獲麟。
14年、春、西で狩猟して麒麟を捕獲した
とある。これだけでは何の事か解らないから「伝」の解説がある。公羊伝には、
何以書?記異也。何異爾?非中國之獸也。然則孰狩之?薪采者也。薪采者。則微者也。曷爲以「狩」言之?大之也。曷爲大之?爲獲麟大之也。曷爲爲獲麟大之?麟者仁獸也。有王者則至。無王者則不至。有以告者曰。有麏而角者。孔子曰。孰爲來哉!孰爲來哉!反袂拭面。涕沾袍。
何故麒麟を捕獲したことが書かれているのか?奇妙な出来事を記録したのである。何を奇妙なこととしたのか?麒麟は中国の獣ではないからである。しからば誰がこれを狩ったのか?柴刈りをしていた者である。柴刈りする者とは下賤の者である。何故「狩」の字によってこれを記したのか?これを大事だとしたのである。(「狩」とは王公諸侯のような身分ある者が行う。下賤の者は獣を捉えても通常は「狩」とは言わない。)何を大事だとしたのか?麒麟を捕獲したことを大事だとしたのである。どうして麒麟を捕獲したことを大事だとしたのか?麒麟とは仁獸である。王者(有徳の天子)が出現するとやってくる。王者がいなければ来ないはずだからである。この奇妙な出来事を報告する者がおり、「麏に角が生えている獣が捕獲された」と言う。報告を受けて孔子が見分に行くと麒麟であった。孔子はこれを見て「何故やってきた!何故やってきた!」と言い、その場で泣き崩れ、袂で顔を拭い、涙で袍を濡らしたのである。
左氏伝には、
十四年。春。西狩於大野。叔孫氏之車子鉏商獲麟。以爲不祥。以賜虞人。仲尼觀之。曰。麟也。然後取之。
14年の春、魯の西方にある大野沢で狩猟行った時、叔孫氏を乗せた車の馭者の鉏商が麒麟を捕獲したが、これを不祥として虞人(山沢の管理人)に引き渡した。孔子はこれを観て、「麒麟である」と言った。その上でこのことを取り上げて記録した。
双方で捕獲の経緯が異なっている。左氏伝の記述では、「狩」をしていたのは叔孫氏であり、魯の貴族である。貴族など身分ある者は、外出の際に必ず車に乗る。狩猟も車を使用する。車子というのは馭者、すなわちドライバーである。このドライバーについては「微者」という注釈がある。つまり、共通しているのは、下賤の者によって捕獲されたということなのである。
もちろん、王公諸侯であれば、麒麟を見れば、これを狩るようなことはしないはずであり、訳も分からずこれを捕獲するのは、これが靈獸であることを知らない乱暴な下賤の者である。
麒麟が来るのは本来瑞兆のはず。それを捕獲してしまうのは不祥この上ない。孔子はこの事件によって、自分の寿命がもう長くはないことを悟ったといわれる。春秋時代は物事の価値観や既成概念の崩壊が起こる激動の時であった。この時に麒麟が来たというのは、単に季節を間違えて花を咲かせる狂い咲きのようなものではない。これを下賤のものが捕獲したという記録は、下剋上や変革期における新しい価値観の成立を象徴しているといえるかもしれない。
少々前の事になるが、ケニアに出現した白いキリンが殺されていたというニュースがあった。我が国であれば、白い動物の出現は、神の使いとして非常に大切にされる。大切にされるものを殺してしまうという所が非常に象徴的である。
古典における伝説の記述は多分に観念的であるが、これは最近の出来事である。過去の事件に照らして未来を予測するならば、このことは世界の現状と行く末を暗示してはいないだろうか?
琴曲《獲麟》の楽譜 【琴曲集成】文化部文学藝術研究院音楽研究所北京古琴研究会編所収より
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