射覆(上)

雑記

射覆(セキフ、セキフク㊟1)というのは、何かで「覆われたもの」を「射あてる」遊びであり、現在でも占い関係の余興などでもしばしば行われる。古典に記された代表的なものでは、漢書の東方朔のエピソードにあるのがこれで、

上嘗使諸數家射覆。置守宮盂下射之。皆不能中。
上嘗て諸數家をして覆はるるを射るに、守宮を盂下に置きて之を射さ使むるも、皆中つる能はず。
朔自贊曰。臣嘗受易。請射之。
朔自ら贊みて曰く、臣嘗て易を受けり、請ふ之を射ん、と。
廼別蓍布卦而對曰。臣以爲龍又無角。謂之爲虵又有足。跂跂脈脈。善緣壁。是非守宮卽蜥蜴。
廼ち蓍を別ち卦を布きて對へて曰く、臣以て龍と爲さば又角無し、之を虵と爲すと謂へば又足有り。跂跂脈脈として善く壁に緣る。是れ守宮に非ざれば卽ち蜥蜴なり、と。
上曰。善!
上曰く、善し!と。
賜帛十匹。復使射他物。連中。輒賜帛。(以下略)
帛十匹を賜り、復た他物を射さ使めて連中し、輒ち帛を賜ふ。

ある時、陛下が術數を扱う関係者たちを集めて伏せられた青銅器の中に入っているものを当てさせようとした際に、中にヤモリを入れておいたところ誰もそれを当てることができなかった。そこで東方朔が前に進み出て陛下に申し上げた。

「私めは以前に易を学んだことがございますので、これを当てさせていただきたい。」

そこで蓍を手に取ってこれを操作し、卦を配置して表示された情報を読み取り、陛下に申し上げるに、

「私めの見立てでは、龍のようで角が無く、蛇かと思えば足がある。壁面を自在に動き回る。これはヤモリでなければトカゲでございます。」

陛下は「よろしい、正解である!」とおっしゃり、褒美として帛十匹を賜り、更に他の物を当てさせると、これも続けて当て、それに対しても即座に帛を与えた。

このエピソードは、術數の関係者を集めて行った公開実験の場に於いて、各分野の技術者たちがことごとく中身の読み取りに失敗しているところで、関係者に含まれていなかった東方朔が易を使用して卜筮によって読み取りに成功したことが記されている。

この場に集められた技術者が使用した手法が易以外だろうと思われるのは、禮記(曲禮下)に臣下の宮廷への持ち込み禁止物の記載があるからで、その注疏に解説がある。

龜筴几杖、席蓋、重素、袗絺綌。不入公門。
亀甲、筮竹㊟2、脇息、杖㊟3、霊柩車、喪服を着た者、自宅に居る時の部屋着を着用した者は公門から中に入ってはならない

〔注〕 龜筴。嫌問國家吉凶。(抜粋)
〔注〕 亀甲、筮竹(を持ち込んではいけないの)は、国家の吉凶を問うことが疑われるためである。
〔疏〕 明臣物不得入公門者也。龜筴者。謂臣之龜筴也。將入。嫌問國家吉凶。(抜粋)
〔疏〕 臣下が公的な場所に持ち込んではいけない私物について説明する。ここでいう亀甲、筮竹は臣下の私物の占い道具のこと。これを公的な場所に持ち込むことは、臣下が私的に国家の吉凶を問うことが疑われる。

このような記載がある。卜筮は本来、商から周初の出土文物に示されるように、王が自ら行い、神からの啓示を受けるものであった。つまり卜筮を行うことは、王と卜筮を取り扱う官職の特権であった。

すなわち公的な場所に臣下が私物の占い用具を持ち込んで占卜を行うということは、臣下が帝王と卜筮官を差し置いて国家の命運を調べるという極めて僭越な行為で、国家権力に対する挑戦となり、叛逆の意思ありなどとみなされることになる。東方朔は陛下に気に入られていたので卜筮の道具を自由に持ち込める権限が与えられていたのだろう。

それでは、ここに集められた技術者たちは、どのような方法で中身を読み取ろうとしたのか?各分野の技術といえば天文・気象・軍事・医療などであろう。風角・望気のようなものは軍事的技術に含まれる。中身を透視するといえば、扁鵲が長桑君から秘密の薬の処方を伝授されて、それを飲んで透視能力を獲得したエピソードを思い起こさせる。

それは技術的な分野とはいえ、想像を逞しくすれば、オーラを見るというような、現代的な視点からみればオカルティックなことが行われたのかもしれない。それが失敗続きで停滞していたところで、東方朔が易を使用してあっさり読み取ってしまった。

占いに携わる者ならば、組み上げた盤や易卦にホログラムのように浮かび上がるヴィジョンを見ることもあるが、これは修練を積むことによって得られるもので、霊感とか超能力とは一切関係がない。

芸術などの分野でもそうであるが、自らが積み上げた技術と知識が裏にあることによって「見える」とか「降りてくる」などと表現されるものはこれだと思う。

勿論見えなくとも読み取り自体は可能である。私にはそこまでの技量は無いが、現代日本でも超絶技術で当て続け、景品をすべて取ってしまった先生のエピソードは聞いている。

そもそもこれは東方朔の伝記であり、且つ彼は術數家ではない扱いとなっている。つまり専門の技術者ではないのに優れた技術をもっていたという話で、易とそれ以外の各種の術の優劣を述べているのではない。この場にいた技術者たちが読み取れなかったのは経験と技量の問題だったのだろう。

ここでは省略したが、このエピソードの後に続くのが、やはり専門的な技術者でもなく陛下に気に入られていた、お笑い芸人の郭舍人が東方朔の精妙な術を素直に評価せず、インチキと決めつけて辱めようとするが、かえってひどい目にあうという話を載せる。

㊟1
」は、「シャ」「ヤ」「セキ」「エキ」の音があり、このうち、「セキ」と読むと「あてる」意味がでてくる。
」は、「フ、フウ」「フク」「ホク」の音があり、「フ」と読むと「おおいかぶせる」「かくす」などの意味となり、「フク」と読むと「転倒する」「ひっくりかえる」などの意味となる。

「射覆」という語を「セキフク」と読ませている場合があるのだが、漢書の注には「覆。音芳目反。」としており(これがホクの音)、この文では器をひっくり返して覆い隠す意味なのであろう。また、東方朔傳の別の箇所にある、「安於覆盂(ひっくり返した青銅器よりも安定している)」の文に対しては音注が無いので「フク」の発音を取る。これを根拠としているのかもしれない。ちなみに占い関係で「セキホク」と読ませた例は寡聞にして未見である。

㊟2
筮竹は日本で開発されたものだが、筴や蓍は「筮竹に相当するもの」として理解しておく。

㊟3
曲禮上に、老齢による退職が認められなかった場合に、脇息と杖を賜り、介助をする女性をつけてもらい、移動するときに安楽な車に乗る云々の記載がある。

大夫七十而致事。若不得謝。則必賜之几杖。行役以婦人。適四方。乘安車。

〔注〕几杖、婦人、安車。所以養其身體也。(抜粋)

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